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RUNDICKブログ

三種の神器
参院選が終わりました。まだまだ同じ道が続くのだなと思ったりしています。

この道が何処から来たのかと、2、3年前に疑問に思い、ネットで調べていた時期がありました。結果何処から登っても同じ山にブチ当り、途方にくれた記憶があります。
その時、世界というのは何かの意思に添って動かされているもの、という概念が私の中に生まれました。
誰に言ってもそれは理解されませんでしたが、同じような感覚を持っている人が少なからず居ることも、また事実だったりしています。

この10年、様々な健康への不安から、健康を取り戻すための何かを探し続けてもきました。こちらでも探り続けていくうちに、大きな山に突き当たります。
ここで突き当たった山は前述の山とは異なるものでしたが、何かをとことん突き詰めていくといずれ目の前にそびえる大きな山に突き当たるものなのだなと、思い至ったりもしました(そんなこと無いという人ももちろんいると思いますが)。
そしてこの山は目で確認できるだけではない世界をも包有していて、言葉だけでは説明が出来ない、摩訶不思議な世界であったりするのです。

例えば何を食べれば健康になれるのかと考えるとき、それは菜食であったり、オーガニックであったり、マクロビであったり、不食という人も現れてしまったり、実に多種様々であることは、そのバックグラウンドに目に見えない何かを感じ取ることが出来るのです。
むしろそのことを無視しては説明すらできない。

この目には見えない何かの存在に気がつきつつも、それを認めたくない感情を持つ人もいたりもして、そういう方はなんとか即物的な側面からのみのアプローチを繰り返してはまた見えないものの存在にぶち当たり、という感じでグルグルしていたりします。
私は元々そういう世界も有りだという人でしたので、わりとすんなり受け入れてしまったような。

目には見えない存在は大きな何かに違いないのですが、自分の一部であり、自分を作り上げているモトであり、何かの法則に基づいているモノのような気がします。
それは自然の理かもしれないし、宇宙の法則かもしれないし、神といわれるものかもしれません。
八咫の鏡の意味はまさにその辺にあるんだろうと考えたりします。
ミクロコスモとマクロコスモ。
どちらも同じように宇宙であると。
そして陰と陽。
善と悪は必ずセットであると。
どちらを選ぶかは自分の自由意志。
選び取るための草薙の剣なのかなと、今は思ったりしています。
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